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序章 - 第2話

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「リルガード兵に襲撃されているだって!?」

 話を聞き終えた小隊長たちがざわめいた。

「だが、警報は鳴らなかったぞ?敵がすでに上陸しているなんて考えられない…」

 レイナスも同じ思いを抱いていた。この島は、人力での哨戒しょうかいと機械の警戒網を使った二重のシステムで不当な侵入を防いでいる。魔獣との戦いが激化していたとはいえ、そのシステム――少なくとも機械による警戒網に引っかからずに上陸できるとは到底思えなかった。
 しかし、事実として上陸を許しているのだ。

「……原因を考えるのはあとだ」

 ロナードが冷たい声で言った。

「今は他にすべきことがあるはずだ」

「あ、ああ、そうだが……」

 面々が戸惑いを露わにする。状況を飲みこみ、余計に不安を大きくしてしまっているのだろう。こういう時にこそ、全隊を指揮する人間がいるべきなのだが、あいにくレイラもドモラもこの場にはいなかった。
 ならば、その代役くらいは引き受けよう。

「総員、傾注けいちゅう!」

「――ッ!」

 レイナスの掛け声に、一同は顔を上げた。

「今は火急の事態だ! ほうけている暇はない! 敵の目的は間違いなく我が国の王女! だったら俺たちがすべきことはなんだ!?」

「……王女様を護ることだ」

「そうだ! 現在、基地には王女のための護衛部隊と一個中隊しか残っていない! 俺たちがもたもたしていればそれだけ王女が危険にさらされるのは分かるな!?」

「ああ!」

「なら行こう! 部隊をまとめて基地に帰還する! 先導は俺とロナードの隊に任せろ!」

「了解ッ!!」

 誰からともなく一同は敬礼し、自分たちの部隊へと走り出した。
 数分もせずに伝達はすみ、レイナスとロナードの隊を先頭に進軍を開始する。
 そのかたわら、レイナスは同伴しているニアに話しかけた。

「これでよかったんだな? ニア」

「ええ、上々のはずよ。ドモラ准将たちも王女様を助けることを優先しろと言っていたわ」

 先程、基地が襲われているとニアから聞いた時は、詳しい話は聞かないでおいた。状況が状況のため、基地に戻ることを優先した結果である。

「……ドモラ准将とレイラ大佐から話を聞いたと言っていたけど、一体何があったんだ?」

「私も途中からしか分からないけど、どうも二人は整備兵に呼ばれて格納庫に行ったらしいの。それで整備班長と二人が話しているところに私も居合わせて……その時、哨戒中の兵士から通信が入ったのよ」

 ニアは思い出すように、眉をひそめて続けた。

「基地の敷地内に少数だが敵影を認めたと話して、直後に通信は切れてしまったわ」

「じゃあ、哨戒中の部隊は……」

「残念だけど、そう考えた方がいいでしょうね……」

「……その後は?」

「その後、ドモラ准将たちと格納庫を出たのだけど、すでにリルガード兵がそこまで迫っていたの。それで戦闘に入って……この状況を伝達するようにって、二人がおとりになって私を逃がしてくれたのよ」

「敵の……」

 敵の数は? そう聞こうとして、レイナスはやめた。どれだけの敵兵がいたところで、彼らを助けに行くのは後回しにすべきだからだ。最優先は王女を護ること。任務の優先順位を鑑みずに彼らを助けに行ったりしたら、その彼らにどやされかねない。
 ふとレイナスが視線を感じてニアを見ると、彼女は小さく微笑んでいた。

「ダメよ、レイナス。心配なんてしたら、二人に失礼でしょう」

 さすがに付き合いが長いだけあって見透かされている。

「それもそうだな。あの二人がやられるところなんて想像もできない」

「ええ、二人を信じましょう。私たちは……」

 言いさして、ニアが前方に目を向けた。
 レイナスも何かの気配を察知して、前方に視線を定めた。
 暗闇の中にうごめく何かがいる。
 走り続けながら、剣の柄に手をやった。
 数百メートル手前まで来て、ようやくはっきりと姿をつかんだ。
 闇夜に溶け込むように敵はいた。漆黒の甲冑かっちゅうを身にまとい、すみ色のかぶとで素顔を隠す。その独特な姿は紛れもなくリルガード帝国兵士のもの。

「敵影確認! 第一騎艇小隊、戦闘に入る!!」

 剣を抜き、レイナスはえる。
 直後、戦闘が開始された。
 先の戦いとは違い、今度は対人戦。しかもリルガードの兵士は白兵戦においては最強とまでうわさされるほど。しかし、レイナスが属するカイゼルシュルトも軍事大国の異名を持つのだ。兵士の質に関しては、決して引けを取らないはず。
 だがそれは、同条件であればの話だった。

「――右翼から更に敵影です!」

 視界の端、森の暗がりから敵が迫ってくるのが確認できた。
 レイナスは目の前の敵兵の攻撃をかいくぐり、懐に飛び込んで甲冑の隙間に剣を通した。手に肉を裂く感覚が走る。苦しみにあえぐ敵を追撃し、切り伏せた。
 レイナスは焦っていた。

(もうこれだけの数、敵が上陸しているのか……)

 最初こそ敵の数は少なかったものの、次々に増援が現れている。

(このままだと……)

 状況を俯瞰ふかんしてレイナスは考える。敵の数はすでにこちらを上回っているかもしれない。包囲されるのも時間の問題だ。さらにこちらは魔獣まじゅうとの戦闘を繰り広げたばかり。十全な状態で戦えている兵士など数えるほどだろう。

「レイナス!」

 そう声を上げて近づいてきたのは後続の小隊長だった。彼の隣にはロナードがいる。

「どうした?」

「提案がある! お前とロナードの隊はここを放棄して基地に向かってくれ!」

 いきり立つように彼は言った。

「このまま戦っていてもらちがあかない! お前たちは先に行くんだ!」

「だが、今でも押されているんだぞ? 俺たちが離れたら――」

「レイナス! お前が言ったんだぞ? 一番に優先すべきことはなんだ!?」

 彼の剣幕に、レイナスは息をのんだ。

(そうだ。彼の言うとおりじゃないか……!)

「行くぞ、レイナス」

 ロナードは身をひるがえして自分の部隊へ走る。

「……分かった。戦線を離脱する」

 レイナスが言うと、笑顔が返ってきた。

「後は任せろ! 王女様を頼んだぞ!!」

 彼の言葉に強くうなずき、レイナスは一歩前に足を踏み出した。

 レイナスはロナードと共に部隊を引き連れ、左右を森に挟まれた道を駆けた。
 戦渦せんかの音を背中に感じながら、離脱を支援してくれた仲間に心の中で感謝する。
 半里ほど進んだところで視界が少し開け、見慣れた光景が目に入ってきた。ここは訓練の走り込みの時に使う道だ。数ヶ月の駐屯により蓄積された記憶は、闇夜の中でもはっきりとそれを認識する。

(基地はもうすぐそこだ……!)

 あと数分もせずに見えてくるはず。
 レイナスはふと考える。今、基地の状況はどうなっているのだろうか。敵が入り込んでいるのか、どれだけの数がいるのか。このまま何も考えずに向かっていいのだろうか。
 そこまで思い至って、レイナスは小さく頭を振った。
 状況が分からない以上、このまま進むしかないのだ。
 たとえ、そのために犠牲を払うことになったとしても。
 全員、覚悟はできていると信じて。

「――レイナス! 前方に誰かいるわ!」

 不意に傍らのニアが言った。
 目を凝らすと、道の中央に人影を認める。

(敵か……!?)

 警戒を強め、いつでも剣が抜けるように腕を動かす。
 しかし、直前まで近づいたところで、それが間違いであると分かった。

「ドモラ准将!」

「お前たち! 来たか!!」

 そこにいたのはドモラだった。戦斧せんぷを片手にした彼の足下には、多数のリルガード兵の死骸が横たわっている。

「レイナスとロナードの隊だけか……。他はどうした?」

「リルガード兵と戦闘中です。俺たちは先行してここまで来ました」

「そうか。……レイラの読み通りだったな」

 彼の癖なのか、いつものようにひげを触りながら言った。

「読み通り、ですか?」

「リルガード兵が次々に上陸しているようでな、お前たちと交戦すると踏んでいた」

 なるほど、とレイナスは得心した。基地は森に囲まれており近くに船を降ろせないため、離れた場所に着陸してから陸路で目指すしかない。敵兵が同じく基地を目指したレイナスたちと遭遇するのは必然だった。
 そこでレイナスはようやくドモラが一人であることに気づく。

「ドモラ准将、レイラ大佐は今どこに?」

「部隊を指揮するために戻ったはずだ。今頃合流しているだろう」

 行動が早い。これなら心配ないか、とレイナスは息をつく。

「向こうはレイラに任せておけ。ワシらは基地に向かうぞ!」

「了解しましたッ!!」

 一同は敬礼し、ドモラに付き従う形で動き出した。
 進軍を再開して数分後、

「見えてきたッ!」

 後方から誰かが声を張り上げた。
 緩い曲線を描いた道の先に、石造りの建造物が浮かび上がってくる。建物の窓から漏れる光がぼうっと中空を照らしていた。
 レイナスがそれに気をとられていると、不意に視界の端で違和感を覚えた。巨体を揺らしながら走るドモラがこちらに視線を送っていた。どうやら呼んでいるらしい。
 速度を上げてレイナスがドモラに追いつくと同時、ロナードも近づいてきた。
 二人がドモラを挟むようにして隣に並ぶと、

「お前たちには今のうちに話しておく」

 隊長の自分たちにのみ話せる内容、という意味だろう。

「何についてですか?」

「こんな状況になってしまった原因についてだ」

 ドモラは速度を落とさず走りながらも、整った息で話す。

「ワシらが格納庫に向かったのは聞いているか?」

「はい、それは伺っています」

「その理由がな、格納庫内のエアシップに故障が見つかったからなんだ。どうも通信系と火気管制システムが動作しなくなっていたらしい」

「えっ?」

 レイナスはつい驚きを口に漏らした。エアシップの故障など、ついぞ聞いたことがなかったからだ。使用する頻度も低いうえに、毎日整備を欠かしていないはずなのに。

「しかもそれだけではない。格納庫に隣接して設置された警備システムの機械にも不具合が見つかった。正常にシステムが動作していなかったようだ」

「……」

 レイナスは口をつぐんで考える。

(そうか、だから敵の上陸を許してしまったのか……)

 機械による警戒システムが沈黙している間に少数で乗り込み、哨戒している部隊を撃破する。そうすれば後は誰にも邪魔されずに上陸できるだろう。それは分かるのだが、

「しかし、何故、みんなに話さないんですか?」

「それは……」

「……よく考えろ、レイナス」

 ドモラに代わり、ロナードが答えた。

「警戒システムやエアシップの不備が偶然この日に発生するはずがない」

「――そうか、これも敵の工作……」

 だとすると、時系列の順序がおかしい。
 エアシップや警戒システムに細工をするには当然、上陸していないと不可能なのだ。
 レイナスは考え、答えを得て顔を上げた。

「まさか、この基地に敵の諜報員ちょうほういんが……?」

「……恐らく、そうだろうな」

 ドモラが苦々しく言った。

「もしかしたらお前たちの部隊の中にいるのかもしれない。誰が敵かも分からない状態で情報を無闇に伝達するのは得策ではないな」

「……そうですね」

 疑いたくはなかった。だが、論理的に考えてしまえば、間違いなくリルガードに手を貸した人間がこの基地の内部にいるのだ。

(だけど、部下がそんなこと……)

 レイナスは眉間にしわを寄せて歯がみした。
 それをドモラは横目で見ると、

「とにかく、お前たち、これ以降はそれを踏まえた上で行動するんだ。いいな?」

「……はッ!」

「だがまぁ、リルガード兵が現れてから動いていないところを見ると、そう気にする必要もないやもしれんがな。わざわざ行動して姿を現すほど馬鹿でもあるまい」

 動いて証拠でも残してくれれば、それはそれで好都合―と、ドモラは髭をかき、

「さて、もう基地に着くぞ! 気を引き締めろ!!」

 ドモラの言う通り、すでに建造物は目の前だった。
 レイナスはそびえ立つそれを見上げながら考えていた。

(部下を疑いながら戦う……そんなこと、俺にできるのか)

 できはしない。レイナスは直後に答えを出した。信頼する部下を疑うことなど、できようはずもなかった。たとえ、それにより自身に危険が及んだとしても。

(……だが、この任務だけは必ず達成してみせる)

 レイナスが誰にともなく誓い、視線を下げたその時、
 敵が音もなく姿を現した。

To be continued...