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「第一騎艇小隊、抜刀!」
小隊を預かるレイナス・シルバーロード中尉は剣を掲げ、声を張り上げた。後ろから金属がこすれ合う音がして、続いて誰かの息をのむ音が聞こえてきた。「総員、
月明かりしかない広大な草原を駆ける。まだ駆け出して間もないというのに、レイナスの心臓は早鐘を打っていた。戦闘を控えての極度の緊張。士官学校時代から幾度も経験してきたというのに、これだけはいまだに治らない。
だが、それもこの短い間だけだ。
戦闘が始まれば、自然と身体はこわばりから解放される。
「
暗がりの中から徐々に、敵の姿が露わになる。二メートルは優に超える
目視で確認できるだけで三十体以上。
レイナスは敵を視認して、逆に頭が冷静になっていくのを感じていた。
心臓は気づけばゆっくりと脈打っている。
レイナスは剣を持つ右拳に力を込めると、敵陣に向かって走り出した。突出していた一体の魔獣――狼に似通った姿をした敵はレイナスの動きに反応し、
「――――」
牙をむき出しにして、人間には到底表現できない「――遅いッ」
レイナスは眼前に迫った腕を斬り払う。魔獣の手首から先が宙を飛び、切り口から紫色の鮮血が吹き出した。何かが腐敗したような独特の臭気が鼻をつく。「――――ッ」
前肢の片方を失っても、魔獣は敵意を収めなかった。口を大きく開け、咆哮と共にレイナスを噛みちぎろうと迫る。体液を撒き散らしながら近づくそれを、レイナスは身を低くしてかわすと、一歩前に踏み出して剣を大きく振り上げた。一瞬の後、魔獣はぐらりと傾き、その巨体は地面へと沈み込んだ。
レイナスは一度、大きく呼吸すると、
「総員、打ちもらすなよ! 絶対に基地には近づけさせるな!!」
その言葉と共に、戦闘が開始された。戦闘は混戦し、苦戦を強いられた。魔獣の数は数十か百以上か。こちらの兵の数は二十にも満たない。だが、ここを任されたからには泣き言など言っていられなかった。誰一人、言うつもりなどないだろう。
一体、二体、三体……すでに何体倒しただろうか。
レイナスは敵の攻撃をかわしながら、周囲を確認した。
様々な場所から剣戟の音が鳴り、ところどころに魔獣の死骸――味方のそれはない――が転がっている。魔獣の血により、辺りには酷い異臭が漂い、気を抜くと
「はッ!!」
レイナスが掛け声と共に剣を振ると、目の前の魔獣は二つに裂かれ、音を立てて崩れ落ちた。視界が開けたレイナスの目に、仲間の姿が映る。
「――くそ!」
一人の隊員が魔獣と「なッ!?」
途端、魔獣の死骸に足を取られたのか、隊員は後ろにもんどり打つように倒れる。「――――」
それを見逃すほど、魔獣は甘くない。だが、それはレイナスも同じだった。
危ない、と思った時にはすでに身体は動き始めていた。一足飛びに駆け寄って、爪で斬り裂こうと腕を上げた魔獣と身を
バランスを失いよろめく巨体。咆哮しようと口を開いたそこに、レイナスは二本の剣を突き立て、外に開くように払った。頭が口を中心に上下二つに斬り離され、魔獣は声もなく絶命した。
「――た、隊長!!」
「大丈夫か? 怪我は?」
振り返って隊員を見下ろす。彼は膝を立て、おもむろに立ち上がろうとするが、顔を「お前は一旦、下がるんだ」
「ですが、隊長!!」
まだ戦えると言いたいのだろう。自分が同じ立場でも同じことを言ったはずだ。だが、それを「レイナス!」
その時、鈴の音色のような声と共に小柄な少女が走り寄ってきた。レイナスの隊の隊長補佐を務めるニアだった。「――傷が深いみたいね」
彼女はレイナスの傍らの隊員を見るなり、「悪いけどニア、彼を連れて下がってくれ」
「分かってるわ。そのために来たんだもの」
ニアは優しく微笑むと、まだ膝をついていた隊員に肩を貸し、一緒に立ち上がった。「隊長……すみません」
「いいんだ。まだ戦う気があるのなら、治療して戻ってきてくれ」
「……はい!」
隊員は大きく頷いた。「さぁ、二人共、早く行くんだ!」
レイナスは両手の剣を構え、声を上げる。今のやり取りの間に、魔獣が近づいてきていた。数メートル先に三体。こちらの動きをうかがっている。「レイナス、ここは任せたわよ!」
その声に応じるようにレイナスは敵に向かって駆ける。背中から遠ざかるニアたちの足音を聞いて、レイナスは考えた。
(どうやら戦況は芳しくないようだな。このままだと……)
目の前に立ちはだかる魔獣。その攻撃を避けて、隙が出来た魔獣の身体に剣を突き立てる。すぐに引き抜き、魔獣の四肢を斬り離しながら、なおもレイナスは考えていた。(しかし何故、今日に限って……)
牙をむき飛びかかってくる魔獣を斬り捨てて、(今は魔獣の活動期ではないのに、何故ここまで凶暴化しているんだ……)
背後から迫る魔獣の首を振り向きざまに斬り落として、(安全だからこそ、あの方はこのエルヴィス前線基地を視察に来たというのに……)
三体の魔獣を斬り伏せて、レイナスは今日を思い返していた。エルヴィス前線基地。カイゼルシュルトとセントミラの両国が手を携え、共同で建造したこの基地は、リルガード帝国の侵攻を防ぐためのものだった。
そしてレイナスの母国であるカイゼルシュルトまで魔の手を伸ばしたのが数年前だった。軍事国家として名高いカイゼルシュルトの猛攻により、リルガード帝国の大艦隊はほぼ壊滅。しかし帝国は諦めていないのか、定期的に侵攻を企てようとしていた。
長年に渡る戦争に
そのエルヴィス前線基地内、広い講堂の中に大声が響き渡った。
「えっ? 王女様がここに? しかも今日ですか!?」
レイナスの隣で小隊長の一人が驚きに身を乗り出した。「ああ。まもなく到着するはずだ」
答えたのはドモラ准将だった。巨体とも表せる「これは以前から決まっていたことだ。ワシを含め、中隊長以上の人間には知らせてあった」
「そんな、何故……」
小隊長の一人がうなり、すぐに黙った。理由が分かったのだろう。王女が前線基地に来る――そのような重要な情報を広く開示するべきではないはず。要は情報漏洩を「なに、王女様が来るからといってお前たちのやることは変わらん。そう気構えするな!」
ガッハッハ、とも聞こえる快活な笑い声を上げるドモラを、一同は笑わずに見据えていた。笑えるはずもない。確かにやることは変わらないだろうが、国の重要な人物が来るのだから緊張して然るべきだろう。そう、今や王女は国の重要な――最重要な人物なのだ。
数ヶ月前にカイゼルシュルトの王が病に倒れた。原因不明の病だった。一時は死すら危ぶまれたのだが、何とか持ちなおし一命は取り止められた。しかし、依然として身体は病に冒され、公務ができるような状態ではない。そのために
(この視察も政の一環、というわけか……)
恐らく、話にしか聞いていない前線基地の様子を自身の目で確かめたいのだろう。「さ、話は終わりだ! お前たちは持ち場に戻れ!」
何かあればまた集まってもらう――というドモラの言葉と共に場は締められた。数刻後、予定通り王女が前線基地に到着した。特別に出迎えるようなことはなかった。どうやら王女がそういう特別扱いはやめて欲しいと願ったかららしい。また、視察といってもこれもまた特別なものではないので、普段通りに行動して欲しいとのことだった。
だからレイナスは王女と顔を合わす機会はなかった。普段通りに各装備を点検し、領空の外に不審なヴァルハイト――リルガード帝国の戦艦が近づいてきていないか警戒をする。
何ごともなく時間は流れ、夕暮れを過ぎ、夜がやって来た。
当初、やはり基地にいる人間は王女が来たために緊張していたのだろう、基地内には張り詰めるような空気が充満していた。だが、今やそれは
そんな願いを打ち壊すように、突如、基地内に警報が鳴り響いた。
「――伝令!! 数キロ先の高原から魔獣の群れが基地に向かって来ています!!」
レイナスは敵をねじ伏せながら、さらに考えを深めた。
魔獣の群れの暴走。これは以前から――建設当初からあったことだった。
基地があるこの浮島は広大で、草原もあれば高原もあり、さらには深い森さえある。動植物が豊かな場所に魔獣は住みつくといわれ、彼らにとってここは最適な生息域なのだろう。どこからともなく集まって、ここで繁殖し、数が増えると縄張りを広げようとする。その動きはエルヴィス前線基地にまで及び、たびたび戦闘に発展していた。
(だけど、それは活動期の話で……)
レイナスの思考はそこで停止する。「――――ッ」
考え事にとらわれていたからか、自分の位置を確認し忘れていた。気づけば、四方を魔獣に囲まれている。(馬鹿だな、俺は……)
誰かと一緒ならばこのような失態は犯さないのに、一人だとつい考え事をしてしまう。もはやこれは癖のようなもので、レイナスは自認しつつも直しようがないと諦めていた。「――――」
四方を囲む魔獣の内、一体が咆哮を上げる。それが合図だったのか、魔獣は一斉に動き出した。レイナスに向かって一直線に駆ける。避ける術はなかった。(だけど、こんなところでやられは――)
「――レイナス、伏せろ」
「ッ!?」
静かな、しかし良く通る声だと思うと同時、レイナスは地面にへばりつくくらいに身を屈めた。瞬間、頭の上を衝撃が走る感覚がし、次いで風が頬をなでて――周囲の魔獣が崩れ落ちる音が聞こえてきた。 レイナスは立ち上がり、振り返ると言った。「ロナード、助かったよ」
「……」
無言のまま、ロナードは剣を一振りして、魔獣の血を払った。彼はレイナスの同期にして、第三騎艇小隊の隊長を務める男だった「でも、何故ここに? 基地の防衛に残っていたんじゃ……」
「……戦況を鑑みた結果だ。どうやら俺たちの想像以上に数が多いらしい」
どうやら助っ人に来てくれたようだ。辺りを見れば、ロナードの隊だけでなく、他の隊の人間も加勢に来てくれている。「よかった。これならここも……」
「レイナス、ドモラ准将のお達しだ」
ロナードはレイナスの安堵をさえぎって、無表情に無表情を重ねた顔で言う。「お前と俺の隊はこれから前線に向かう」
「……まさか、押されているのか?」
「後続の数が多く、どうしようもないらしい。
レイナスは事態がさらに悪くなっていることを理解し、心臓が脈打つのを感じた。
「――分かった。すぐに向かおう!」
それを振り払うように力を込めて言うと、レイナスは部隊をまとめるために動き始めた。目指すは前線部隊。
何としても前線を守り、この状況を打破しなければならない。