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序章 - 第3話

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(王女様ッ……!!)

 レイナスは駆け寄りかけたが、

「――待て」

 肩をつかまれ、すんでのところで足を止めることに成功する。
 ロナードはレイナスに代わり室内をうかがうと一歩下がって、

「王女は生きている」

 声をひそめて断言した。
 あらためてレイナスが室内に目をやると、うつむけに伏していた王女の手がぴくりと動いた。

(よかった……)

 胸をなで下ろしている間に王女は気を確かにしたようで、「うぅ……」と苦しげなうめき声をらし、両手を床についてゆっくりと上半身を起こした。
 しばらく放心したように床を見つめていた彼女だが、

「なんてむごいことを……」

 顔を上げて口惜しそうに嘆いた。
 誰に向かって放った言葉か。
 彼女の視線の先は闇。室内は明かりがともっておらず、廊下から入る薄明かりで王女の姿がかろうじて確認できるだけだった。

「すでに彼らは動けない身……殺す必要がどこにあったのですか」

 王女は言って、唇をかみしめる。
 彼女の糾弾きゅうだんに引き寄せられるように、ようやく相手が姿を現した。
 リルガード帝国兵士と思われる三人の男。二人は漆黒の甲冑にかぶとを装備しているが、一人だけ違う。黒の外套がいとうで身をつつみ、素顔をさらした長髪の男。彼を先頭に、他二人が付き従っている。
 外套の男は王女のすぐ近くまで寄ると、

「殺す必要はなかった――それは助かることが前提の話でしょう? 楽にしてあげたのですから、褒められはしろそしられるわれはありませんよ、王女様」

 口もとをゆがめて、王女を見下ろした。
 レイナスは二人の会話から状況を推測する。どうやら王女を護衛していた兵は全て殺されてしまったようだ。このひどい臭気は、それが原因か。

「さあ、立てますか?」

 男は慇懃いんぎんな態度で、腰を落とし手を差し伸べる。
 王女はそれを手で払った。

「流石はカイゼルシュルトの王女。剛毅ごうきな方だ」

 男は気にした風でもなく立ち上がると、後ろの二人に目線を送る。二人の兵士は「はッ!」と応え、王女に近づき強引に彼女を立ち上がらせた。
 王女は両腕を二人の兵士に掴まれながら尋ねた。

「私をどうする気なのですか?」

「……」

 問に答えず、男が身体の向きを変えようと足を動かした。廊下から様子を窺っていたレイナスはとっさに身体を引いた。気づかれていないか、と息をのんで耳をすませた。

「答えなさい」

 王女の声が聞こえる。

「貴女にはこれから本国に来ていただきます」

 男がやや低い声でそう答えた。

「ここから連れ出せると思っているのですか?」

「無駄ですよ、王女様。すでにこの基地は制圧済みです。さらに貴国の兵は今、足を止めざるを得ない状況にありますから」

 分かりますか――と、男は言った。誰もが沈黙すると、確かに戦闘のとどろきが聞こえてくる。ほど近い場所で何かが爆発したのか、微かに廊下の窓硝子が振動した。

「どうやら階下で戦闘が行われていたようですが、すでにそちらは終わっているようですね。私たちと同じく斥候せっこうだったのでしょうか」

 男が上げる含み笑いが耳にうるさかった。しかし、

(油断している……?)

 敵は自分たちの作戦が上手くいっていると信じている様子。傲慢ごうまんなのか、それとも道化を演じているだけか。前者であれば好都合。後者であっても、かまいはしない。

「さて、行きましょうか? 王女様」

 軍靴が石畳を鳴らし始め、音は徐々に近づいてくる。

(ここだ……)

 敵が出てきたところをねらうしかない。
 視線を切ると、ロナードが意をんで首肯しゅこうした。
 足音からして外套の男を先頭に、王女を連れた二人の兵がこちらに近づいてきている。
 レイナスは状況をイメージして、心を静めた。
 勝負は一瞬。
 失敗は許されない。
 手にしていた剣の柄を握り直し、レイナスは待った。

「……私を捕虜にして、どうするつもりなのですか?」

 王女が問う。

「我が国に降伏しろと脅迫する心づもりなら、やめておいたほうがいいでしょう。無駄なことです。そのような卑劣ひれつな国に、私たちは決して屈しません」

「王女である貴女の命がかかっていても?」

「命の価値に優劣をつけている時点で間違いです」

「……ふむ、あながちはったりでもないのでしょうね」

 男は値踏みするように言い、

「それともやはり、ただの戯言ぎげんでしょうか。まさか、この期に及んでも自分は助かるとお思いですか? ずいぶんと臣下しんかを信じていらっしゃるご様子で」

 くっくっく、と今度は笑い声を漏らした。

「彼らには何もできませんよ。こうして貴女が私たちの手の中にある以上ね。こちらの言いなりになるしかない」

「……」

「その瞳……揺らぎませんね」

 男の声音が変わった。続いて、足音の調子が強くなる。

「なら、試してみましょうか? 王女様」

 レイナスは場に流れる空気が変わるのを感じた。

「……何を」

 王女のつぶやき。それに応じて足音が鳴り止む。
 そして、

「そこに隠れている臣下がどう動くのか、確認してみましょう」

 男は、こちらに向かって声をあげた。

 心臓の裏側をなでられたかのような悪寒が走る。

(気づかれている……?)

 レイナスは我知らず、唾を飲み込んだ。

「おや? 反応なしですか」

 これはこれは――と、男はおどけたように笑う。
 その笑い声をさえぎって、王女が言った。

「貴方は先程から何を言っているのですか……?」

 男は答えず、

「隠れるのはやめて、姿を現したらどうです?」

 再度こちらに言葉を投げかけてきた。

(やはり、ばれている……?)

 だが、ただのはったりである可能性も否めない。
 しかし、

「はったりではありませんよ。貴方たちがそこにいることは分かっています」

 男は言う。「貴方たち」という複数を表す言葉が、信憑性しんぴょうせいを高めていた。
 ロナードに目配せすると、彼は首を振る。ブラフだと目で訴えている。
 こちらが反応を見せないでいると、

「これでも出てきてくれませんか」

 男は、こつんと軍靴で床を鳴らして、

「ではこうしましょう。姿を現さないのでしたら、王女を殺します」

 はっきりとした口調で宣言した。

(……ありえない)

 敵の目的は王女をリルガード帝国に連れて行くことのはず。殺しては何の意味もない。
 そう考えるが、

「私たちが受けた命令は、王女を捕らえること。ですが、それはあまり重要ではないそうです。何があろうと――少なくとも命は奪えと仰せつかっているんですよ」

(なんだ、それは……)

「さあ、五秒だけ待ちます。あまり気が長い方ではありませんので」

 言って、すぐにもカウントダウンをはじめる男。
 レイナスは狼狽ろうばいし眉根を寄せた。

 五。

(もし仮に今のがはったりの類ではないとしたら、敵の目的が分からない……)

 四。

(確かに現在の最高指導者は王女様だ。殺害に意味がないわけではない)

 三。

(しかし、彼女を殺せば――彼女が殺されれば、カイゼルシュルトは必ず宿怨しゅくえんを晴らそうと立ち上がるはず……。戦争を激化させたいだけなのか?)

 二。

 ロナードと目が合った。彼は先と変わらず、出るなと目で訴えている。

 一。

(はったりかもしれない……だけどッ!!)

「……残念でしたね、王女様。恨むなら、彼らを恨んでください」

 男がつまらなそうに言った。
 直後、部屋の中から光が漏れ出す。
 見間違うはずもない、これは「ゲート」の力だ。
 レイナスは徐々に強くなっていく光を横目で捉えながら、

(……悪いな、ロナード)

「さようなら、王――」

「――待てッ!!」

 レイナスは叫び、姿を晒した。
 敵が本気である可能性が残されている限り、何もしないわけにはいかなかった。

「やっと出てきましたか」

 部屋の中央で男が言った。男の片手には「ゲート」を使用するためのカード。まさに力が発動する直前だったらしく、淡い光を帯びていた。向けられた先は、傍らで兵士二人に両腕を掴まれ、ひざまづかされた王女だ。

「ですが、まだいますよね。出てきてくれますか?」

 男は脅すようにカードを揺らした。

「……ロナード」

 レイナスが言うと、ロナードが無言で出てくる。

「……何故、俺たちがいることが分かった?」

 ロナードが男に問うた。すると男はカードを持っていない方の手で長髪をき上げ、

「いえね、そこの扉に盗聴器を仕掛けていたのですが、取り忘れていまして」

 髪に隠されていた耳には小型の受信機がついていた。

「『待て。王女は生きている』。よく聞こえましたよ、貴方の声が」

 それはロナードがレイナスを止めようと発したもの。その言葉を聞けば、二人以上いることが分かるだろう。

(だけど何故、盗聴器が……)

 仮に敵が取り付けたのだとしたら。考えられるのは、王女がここに籠城ろうじょうしているかを確かめるため。しかし、それをするにしても、事前に取り付けなければならないはず。

(そうか……それも諜報員ちょうほういんの仕業か)

 ならばこそ、して知るべし。諜報員が工作を行っていれば今の状況も説明がつく。籠城していたとしても、諜報員が事前に鍵を用意するなり扉に工作するなりすれば、敵はスムーズに王女を捕らえられるはず。

「さて、お二人とも。武器をこちらに投げてくれますか? くれぐれも妙な真似まねはしないように」

 なおも男はカードを揺らして脅しをかけてきた。
 レイナスが神妙にうなずいて、両手の剣を放ろうとしたその時、

「待ちなさい」

 王女が顔を上げて制止した。

「卑劣な人間に屈してはなりません、二人共」

「王女様……」

 毅然きぜんとした瞳がレイナスを射貫いぬいていた。

「脅迫に応じてはならないのです。私はどうなろうと構いません」

「ですが……」

「レイナス、ロナード」

 王女は二人の名前を――覚えていたのか――呼んだ。

「このままでは、私はリルガードに連れて行かれます。敵の捕虜になり、カイゼルシュルトに害をなすようなことは慙愧ざんきえません。ならばいっそ、この場で……」

「そんなに早死にしたいのですか? 王女様は」

 男はせせら笑った。

「どうします? 王女様と私、どちらの命に従うのですか?」

「そんなの……」

 レイナスは両手の剣を強く握り締めた。

(どうすればいい?)

 王女の命に従って、敵を討つ。だが、この距離だ。どうやっても王女は先に殺されるだろう。

(王女様を見捨てる……?)

 そんなこと、できるわけがなかった。

「……申し訳ございません」

 レイナスは両手の剣を、ロナードは一振りの剣を敵に向かって放った。男の目の前に三本の剣は落ち、からんと静かな音を立てた。

「ああ……」

 王女の落胆したような瞳が、心に突き刺さる。

「拾ってください」

 男は満足げに笑うと、部下であろう兵士二人に命ずる。片方の兵士が王女から離れて剣を拾い、もう片方の兵士は王女を引き上げるようにして強引に立たせた。

「どうですか? 王女様。やはり彼らは私たちの言いなりになったでしょう?」

「……」

 王女は無言で男をにらんだ。

「ふふふ、それでも変わりませんか。流石ですね」

 男はカードをかざしていた手をやおら動かし、レイナスたちに向けて、

「貴女のために次々と臣下が殺されていけば、心変わりもするでしょうか」

「やめなさいッ!!」

 王女の言葉に反して、男が持つカードは光を強めていく。

(このまま、やられるしかないのか……?)

 レイナスは思う。まだ戦う術はあった。しかし、いずれにせよ、王女がとらわれていては何もできない。この攻撃を避けたとしても、反撃することはあたわず。

(また俺は、救うことができないのか……ッ)

 レイナスは強く歯噛はがみした。

「さようなら」

 男が言うと、カードが一際強く輝いた。
 あと一秒もしないうちに「ゲート」の力は解き放たれ、自分たちを殺しにかかるだろう。

(何か、何か切っ掛けさえあれば……ッ!)

 死に直面した刹那せつな、レイナスがそう思った時――
 基地の建物が、轟音ごうおんと共に大きく揺れた。

To be continued...