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序章 - 第3話

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「今のは……?」

 男が驚愕に顔を歪め、辺りを見渡す。
 直後、またも轟音が鳴り、建物が振動した。
 天井から、ぱらぱらとちりが降ってくる。

「まさか、上か!?」

 部下の一人が叫んだ。
 敵三人は頭上を仰ぐ。
 レイナスとロナードは変わらず前を向いたまま、駆け出した。
 数瞬遅れて、男が気づいた。

「甘いですよ!」

 男の声に合わせて、王女を捕らえていた兵士が剣を抜いた。
 塵によりよどんだ部屋の中で、王女はレイナスたちにうなずいてみせた。
 それでいい、と。脅迫に応じてはならない、と。
 だが、違う。レイナスたちは王女を見捨てるつもりなどなかった。

「残念! 一歩間に合いませんでしたね!!」

 男が叫び、兵士は王女に剣を振り下ろそうとした。
 しかし、

「――なッ!?」

 突如、またも轟音が鳴り響くと、天井が崩れ落ちてきた。石でできた天井は瓦礫がれきとなって敵に降り注ぐ。間一髪の所で敵三人と王女は方々ほうぼうに散ってよけた。

「くッ!!」

 男がもんどり打って倒れる。瓦礫を挟んで反対側にレイナスたちの武器を持っていた兵士が転げる。残りの一人は王女と共に、部屋の奥へ飛び退いていた。

「一体、何が……!?」

 男の疑問の答えを、レイナスは知っていた。
 階下での戦闘は終わったと敵は言っていた。
 それにこんなことができるのは、自分が知る限り一人しかいない。
 石造りのこの建物など、彼の力にかかれば――岩さえ砕くと言われる彼の豪腕ごうわんにかかれば建物の用をなさないだろう。
 粉塵ふんじんがけむり、視界のきかない部屋にどしんと重たい音が響いた。
 そして、

「――ぐぁッ!?」

 敵兵士の断末魔が上がった。
 粉塵が薄まり、レイナスは部屋の奥で膝を立てる王女と、彼女のそばに立つドモラの姿を視認した。

(あとは……ッ!!)

 レイナスとロナードは駆ける。ロナードは男の方へ、レイナスは自分たちの武器を持っていた兵士の方へ。
 敵はすぐに気づいた。自分の剣を抜いて構え、

「武器のない貴様など――」

「――いや、武器ならある!!」

 レイナスは疾走しながら、ふところからカードを取り出した。
 時をおかずに、カードは熱を帯びて光を放ちはじめる。

「まさか……!?」

 それが兵士の最後の言葉になった。カードから炎が放たれ、兵士を飲み込む。喉をかれてか声さえあげられず、敵兵は炎と共に崩れ落ちた。
 レイナスはその亡骸なきがらに駆け寄り、

「――ロナード!!」

 彼の剣を拾って、男の方へ駆けるロナードに投擲とうてきした。

「遅いですよ!!」

 男は外套をひらめかせ、ロナードに向けて「ゲート」を展開した。
 暴風が巻き上がり、粉塵と共にロナードに迫る。
 ロナードはレイナスが投げた剣を振り向きもせずに受け取ると、跳躍ちょうやくした。

「……ッ!?」

 男の視線の先、ロナードは暴風に乗って天井近くまで飛び立つと――身体をひるがえして、天井を蹴った。男へと一直線に落下して、再度カードを掲げた彼の腕を、勢いそのままに斬り落とした。
 鮮血が舞った。同時に男が悲鳴をあげた。
 ロナードは着地し、傷口を手で押さえる男に剣先を向けて、

「終わりだ」

「…………」

 決着はついた。
 男はうつむき、ひゅうひゅうとあえぐように呼吸していたが、やがて顔を上げた。傷口から手を放し、よろよろと数歩下がった。傷口から流れる大量の血が床を赤く染めていく。
 ロナードの元にレイナスたちは集まり、

「逃げられると思っているのか」

 ドモラが戦斧せんぷを男に向けて言った。
 男はそれをにらみつけながら、さらに数歩下がり、壁に背をつけた。

「……良い臣下をお持ちですね、王女様」

 言うと、男は「ふふふ……ははははは」と身体を折り曲げて笑い出した。

「何がそんなにおかしいのです」

 一歩前に出て、王女が問うた。

「いえいえ、まさかこれほどの兵士がカイゼルシュルトにいるとは思わなかったもので。特に……」

 男はぎょろりと目を動かして、レイナスを見た。

「貴方、『ゲート』が使えるのに何故剣技を?」

「……誰かを護るためだ」

 レイナスは毅然きぜんと答えた。

「なるほど、これは面白い」

 男は再度、笑いはじめる。

「いえ、立派ですね。今回で言えば、その誰かは王女様だったわけですか」

「……」

「しかし、だとしたら残念ですね。それはかないません」

 男の笑い声に眉根を寄せ、レイナスは剣を抜刀して身構えた。

「諦めろ。すでに状況は終わった。大人しく投降し……」

「言ったはずです」

 男は喘ぎながら、残った腕を心臓に近づけて、

「私たちの目的をお忘れですか?」

 懐に手を入れると、何かを取り出した。

「――ッ!!」

 ロナードとレイナスは同時に飛び出した。男の手の中には何かが――何かのスイッチに見える――握りこまれており、

「何があってもこれだけは成し遂げます」

 男は愉悦ゆえつに顔を歪めて、スイッチに指をやり、

(――駄目だ!! 間に合わない!!)

 レイナスは強引に足を止め、男に背中を向けて王女へと跳躍した。

「さようなら」

 男の声が聞こえ、そして一瞬の静寂せいじゃくの後――
 爆発。
 強烈な爆音により、聴覚が異常をきたす。全身に襲いかかる凄まじい熱風に触覚はやられ、反射で目をつむると五感全てが失われたかのような錯覚におちいった。
 霧のような意識の中、レイナスはこれだけを考えていた。

(王女様だけは……!)

 どれだけの時間がたっただろうか。
 いや、時間にして十数秒しかたっていないのだろう。
 五感が戻ってきた。
 瓦礫が床に落ちる音が聞こえた。肌を焼くような熱風はすでに感じられない。
 レイナスはゆっくりと目を開いた。

(生きている……?)

 レイナスは思い、背中におおかぶさる存在に気づいた。
 肩越しからロナードの横顔が見えた。彼は目を開けて無事を知らせる。

「王女様は……?」

 ロナードの問で、レイナスははっとする。
 王女はどこにいるのか。
 それは探すまでもなかった。
 レイナスの胸の中に王女はいた。

「王女様……?」

 声をかけると、彼女はうめいて目蓋まぶたを震わせた。
 彼女も生きていた。
 目立った怪我もなく、五体満足のよう。
 それに安堵あんどしかけるが、レイナスは不思議に思った。

(至近距離の爆発で、無傷……?)

 ありえない。
 ならば、何故?
 レイナスはその答えに、ようやく思い至った。
 ゆっくりと振り返る。
 そこには仁王立ちし、こちらに顔を向けるドモラの姿があった。

(俺たちをかばって……)

 レイナスが事実を反芻はんすうすると、ドモラはゆらりと身体を揺らして、床に倒れ込んだ。

「ドモラ准将!」

 レイナスは立ち上がり、彼に駆け寄った。
 見れば鎧の背中部分はくだけ、赤黒くただれた皮膚ひふが晒されていた。

「ドモラ准将! しっかりしてください!!」

 レイナスの声に反応し、ドモラは太い指を痙攣けいれんさせた。おもむろに顔を上げ、

「王女は……無事か?」

「――はい、無事です。ご安心を」

 レイナスがそう答えると、ドモラは口もとに笑みを浮かべて、力尽きた。

「ドモラ准将……ドモラ准将!!」

 レイナスの慟哭どうこくに答えるものはいなかった。

 敵の総大将と思われる男が自爆をはかった後。
 爆発の音を聞いて、リルガードの兵は自分たちの作戦が終わったことを知ったのか、速やかに戦闘を切り上げて退却を開始した。まもなく敵軍のエアシップがいくつも空に浮かび上がり、遠くの空へと姿を消したのだった。
 こうして事件は幕を閉じる。
 レイナスたち、基地の人間はカイゼルシュルト王女を護ることに成功した。
 多くの犠牲を払って。

・・・


 事件から数週間後の深夜。
 レイナスはカイゼルシュルト城の謁見えっけんの間にいた。
 目の前には王座に座る王女の姿があった。

「……本当に辞退するのですね?」

「申し訳ございません、王女様」

 レイナスはひざまずき、こうべをたれる。

「今回の事件、俺の功績は小さなものです」

「ですが、貴方がいなければ……」

「王女様」

 レイナスは首を振り、王女の目をまっすぐに見つめる。
 王女はしばらくレイナスを見返し、

「……分かりました。貴方の意思を尊重します」

 小さく溜息ためいきをついて、そう答えた。
 その不満げな表情からは納得しきれていないことが見て取れた。無理もない。事件を解決に導いたことを認められ、レイナスとロナードは大尉へと昇進を約束されたのだが、それを二人そろって断ったのだ。強くすすめたのは彼女だから、なおさら納得できないのだろう。
 しかし、レイナスは――ロナードも同じだろう――甘んじる気にはどうしてもなれなかった。
 もっとも功績をあげたのはドモラであるはずだから。
 王女、並びにレイナスとロナードをかばい、瀕死ひんしの重傷を負ったドモラ。彼は基地内で応急処置をほどこされた後、カイゼルシュルト本国に移送された。そこで本格的な治療ちりょうを受け、なんとか一命はとりとめたものの、現場に復帰できようはずもなく、彼は前線から離れることになった。
 これにより、軍の編成変更が余儀よぎなくされた。
 ロナードの隊は他の大隊に移動し、レイナスの隊はレイラの中隊に配属され、エルヴィス前線基地から離れることになったのだった。

「ロナードといい、貴方といい、二人とも謙虚けんきょですね、本当に」

 王女が少し声音を柔らかくしてぼやいた。
 形式ばって作られた物ではない、彼女の素顔。
 しかし、それを見せたのも一瞬のことで、彼女はまた表情を引きしめると、

「ですがレイナス、これだけは覚えておいてください」

「なんでしょうか?」

「貴方たちが先に駆けつけてくれていなければ、私はリルガードへと連れて行かれていたでしょう。二人がいなければ、今、こうして私はここに座っていなかった。いえ、生きて帰ることさえかなわなかったはずです」

 王女はふわりと微笑んで言った。

「貴方の働きに感謝を」

「……光栄のいたりに存じます」

 レイナスは深く目礼した。

「王女様、お時間が……」

 見計らって、側近の一人が口をはさんだ。

「分かりました」

 王女は立ち上がり、レイナスに別れを告げると、足早に隣室へと向かった。
 彼女の姿が完全に見えなくなるまで待ち、それからレイナスは謁見の間を後にした。
 薄暗い廊下を一人、レイナスは歩く。
 思い返すのは、先程の王女の様子。
 夜も更けたこの時間に、どこかへ向かった彼女。
 現在、彼女は指導者として多くの行動を求められているのだ。
 その内容を詳しくは知らないが、原因はレイナスも知っていた。
 エルヴィス前線基地での事件。
 王女を護りきったことで一旦は解決を見せたが、後日、また進展があった。
 例の諜報員ちょうほういんの件――エアシップや警戒システムに工作を仕掛けた人間が判明したのだ。
 それはセントミラの兵士だった。
 判明するや否や、その兵士は逃げ出した。兵士はエアシップを使い、セントミラへと向かったのだが、追跡したカイゼルシュルトの軍艦によって打ち落とされた。彼の乗っていた船はセントミラの郊外に不時着し大破。追っていた兵士たちが船をあらためたが、その兵士は見つからなかった。大量の血痕けっこんを残し、姿を消してしまったと聞く。
 この事件により、セントミラとカイゼルシュルトの関係は悪化した。セントミラとリルガードがつながっているのでは、といううわさはかねてから存在していたのだが、今回の件でそれが疑惑へと変わり、カイゼルシュルトはセントミラを問い詰めることになった。
 当然のことだが、セントミラは反発してきた。一兵士が勝手にやったことだ、と主張するばかり。双方の言い分がすれ違い、泥沼化した結果、セントミラは同盟を破棄はきし、エルヴィス前線基地から兵を引き下げてしまった。
 現在、二国は疑心暗鬼に陥り、膠着こうちゃくした状況が続いている。
 レイナスは荘厳そうごんな門をくぐり抜けて外に出た。
 高台となった城の敷地をゆったりと歩きながら考える。

(事件は終わった……けれど)

 確かに事件は解決したかに見えるが、疑問は残る。
 セントミラがリルガードと繋がっているのなら、基地に常駐していたセントミラ兵がリルガード帝国の兵士と戦うことはなかったはず。
 そして、一番の疑問。
 逃げ出した諜報員が乗った船を、カイゼルシュルトの軍艦が打ち落としたこと。
 捕らえるように厳命されていたにも関わらず、打ち落としたと噂で聞いた。攻撃されたからだ、という話だが、セントミラ兵が乗っていた船は軍艦ではない、民間の船だったらしい。まともに攻撃する術があったとは思えなかった。
 どうも、これも隠蔽いんぺい工作だったように思える。
 自爆したリルガード兵のように。
 情報を隠蔽するために口封じしたように思えるのだ。
 だとしたら、

(本当に工作を仕掛けたのは……カイゼルシュルトの人間ということになる)

 情報がそろっていない今、どれも疑惑の域を出ない。
 勝手な推測にすぎないのかもしれない。
 だが――
 レイナスは足を止めずに右手をあげて、胸を軽く押さえた。
 手に伝わる感触はいつもと同じ。
 戦闘が始まる前と同じ感覚。
 ――事件はまだ、終わってなどいないのだ。
 レイナスは手をおろし、ふと立ち止まった。
 眼下には城下に続く階段があり、その先には青い月の光に照らされた街並みが広がっていた。
 静まりかえった、平和そのものの街。
 護りたい、護らなければならない我が祖国。
 レイナスはその情景を目に焼きつけて、こぶしをかたく握りしめた。
 夜風が一瞬、強く吹きつけ、髪をなでる。
 冷たい夜気を肌に感じながら、レイナスは空を見上げ、小さくつぶやいた。

「必ず、この国は護ってみせる」

 誓いの言葉は暗闇に溶け、周囲には風の音だけが残された。

To be continued in the main episode.